なぜ日本語を勉強するの?
2004年11月記 2006年12月5日記
台日地区研究総合ホーム|阿川亭ホーム
2004年11月記
日本語を専攻する学生諸君へ:なぜ日本語を勉強するのか?
I.われわれ自身への問いかけ
1.皆さんは、なぜ今「日本語」を勉強しているのか。
2.日本語が好きだ、という人は、どうして好きになったのか。
3.その<志向性>は、どのようにして生まれたのか。:文化的産物によって支えられた生活
4.教育は、どのように同化の道具になるのか。
5.「自分で選ぶ」というのは、どういう意味か。
6.日本語は売れるから勉強するのだ、そのどこがいけないのか!?
II.われわれを取り囲む状況への問いかけ
アジアからの「賠償留学生」と「オリエンタリスト」:戦後の「日本」にとっての「日本語教育」
「日本語教育」の二つの顔と、「文化」 への渇望。
台湾の「日本語教育」と「日本」
(1)「みんなの日本語」
(2)「日本語教育」の専門家(教師)
(3)「台湾」の国策と「日本」の国策
(4)国家語としての「日本語」と「中国語」(日本文化、台湾文化)
(5)「日本語を教える」というときに「何を教える」のか?
メリトクラシーと市場経済:グローバリズム
I.われわれ自身への問いかけ
1.皆さんは、なぜ今「日本語」を勉強しているのか。
日本語が就職のときに役に立つ(はずだ)という理由もあるかもしれません。日本語が好きだから、という理由もあるかもしれません。また、いろいろな偶然でこうなっちゃったとか、自分としては日本語を選んだわけではないが、誰か(親?)に言われて専攻したとか、専攻は何でもよかったとか、そういう理由(?)もあるかもしれませんね。
日本語が就職に有利な財産になる、というのが事実だとしたら、それは台湾と日本との間の活発なビジネス上の関係が何かの形で存在していて、将来もある程度発展が見込まれるということですね。そうだとしたら、コンピュータ技術、IT技術を学ぶことや、企業管理を学ぶことと、日本語を学ぶことには似た(共通した)価値がある、ということになります。どれも<売れる能力>ということですね。
2.日本語が好きだ、という人は、どうして好きになったのか。
誰に言われたのでもなく、自分ひとりで、どこかから日本語というものを見つけ出してきて「あ、これ、好き」と思ったのではないのではないでしょうか。ビデオ・ゲーム、コンピュータ・ゲームで日本語に出会った人は、そういうゲームが「売れる」と考えて台湾にたくさん輸入したり紹介したりするビジネスがあって、その結果、日本語に出会った。漫画で出会った人、音楽CDで出会った人、TVで出会った人・・・いろいろなケースがあるでしょうけれど、そもそも、これらの日本語のメディアが<売れる>ものでなかったらたくさん氾濫もせず、結果としては<出会う>こともほとんどないでしょう。なぜ「売れる」か、といえば、そのようなメディアが台湾には「ない、あるいは少ない」から。「ない、あるいは少ない 」けれど、「ほしい」から。つまり、台湾は日本が売っているメディアの方向を志向している。もし、同じ方向を志向していなかったら、日本のメディアに触れても「こんなのいらない、こんなの私のほしいものじゃない」と言うはずです。
3.その<志向性>は、どのようにして生まれたのか。:文化的産物によって支えられた生活
テレビという機械、テレビというメディアが存在しない社会というのがあったと仮定してみましょうか。そういう社会に住んでいる人が「テレビという機械」を見て、「これがほしいなあ」と思うでしょうか?思いませんよね、きっと。川からきれいな水を汲んで飲んでいる人たちが、ペットボトルに入った飲料水をみて「あ、あれがほしい」と思わないだろうというのと同じですね。ところが、白黒テレビを見ている人たちがカラーテレビを見れば、「ああ、これ、ほしい!」と思う。まずい水道水を飲んでいる人たちは、きっとペットボトルに入った飲料水を見たら「あ、これ、ほしいぞ!」と思う。
テレビや、人工的な水、といった文化的産物によって支えられた生活を志向する(=そういう生活がいいと思う)という共通性があるからこそ、カラーテレビやペットボトルに入った飲料水が<売れる>。
<日本のメディア>が<台湾で売れる>のは、台湾が、日本が志向する<特定の文化的産物によって支えられた生活>を、日本と同じようなしかたで志向するからだ、ということです。日本がそのような志向を持ったのはヨーロッパやアメリカの志向する生活を、ある時点で、やはり「いいなあ」と思い、そのような同じ志向をもって文化的産物を作り出そうとしてきたからです。
結局のところ、何が<いい生活>か、何が<豊かさ>か、という価値判断に関して、私たちは独自の思考をもって独自の判断をしてきたわけではないですね。時代時代の<中心的な力>によって「これがいい生活、これが豊かさだよ」ということを示され、その方向に自分たちの生活を志向するようになったと言えるのではないでしょうか。
でも、単に<示される>だけだったら、『そんなの私たちは「いい」と思わないぞ!』と抵抗することも簡単にできるはずですが、歴史はもうちょっと複雑な形で人々の志向性を作ってきたのだと思います。それは、周辺的な人々の知識・ものの見方・生活の仕方・価値観・自己意識(自分は何なのか、どうあるべきなのか)といったものを、中心的な知識・ものの見方・生活の仕方・価値観・自己意識というものによって置き換えていくことを通して作られてきたと思うんです。教育とメディアがその具体的な道具だと、よく言われますが、周辺の人たちがなぜ中心に同化したくなるのか/同化せずには生きにくくなるのかということに答えるためには経済、特に市場経済の面から考えていく必要があると思います。でも� ��ここでは同化という現象を根本から説明していくことが目的ではないので、とりあえず同化の手段としての教育というところから考えていきます。
4.教育は、どのように同化の道具になるのか。
教育では、「確立され、体系立てられた知識」と、それに伴う価値観、ものの見方というものが教えられるわけですが、そこで言う<確立され、体系立てられた知識>とは、そのときの中心的な人たちにとっての知識ということになります。日本で教えられてきた世界史というのは(大雑把に言ってしまえば)ヨーロッパ中心主義的な世界観を作ってきました。やはり日本で教えられてきた日本史というのは(ちょっと正確さを欠きますが)大和人中心であり、(これも大雑把ですが)権力交代を中心とした支配階級から見た歴史ですね。
台湾で教えられてきたのは、漢人中心の歴史で、原住民の小学校でもどこでも、それを<自分たちの歴史>として教えられているわけです。『原住民たちは非文明的な生活を送っていて、それを何とか文明化しようとして、仁義と利他精神に溢れた漢人たちがわが身を犠牲にして原住民たちを諭し、何とか文明社会に組み入れてきた。』そんな歴史を習う原住民の子どもたちは、自分たちの原住民性を<劣ったもの>と見るように教育されているといえます。
「だから原住民もがんばってもっと文明化しなくちゃいけない」と思う子もいるかもしれない。「漢人にばかにされないように、漢人以上に漢人になるんだ」と思う子もいるのかもしれない。そういう中心的な知識に抗して、『これは漢人から見た原住民であって、私から見れば違うように見える』と考え、そう言い出せる子どもは、どれほどいるでしょうか。
女性たちが歴史を学ぶときに、歴史を動かしてきたのは男たちであり、女はそれを支えたりする役割は果たしても、自分から「歴史的な偉業を成し遂げる」というような例は希少だと教えられてきました。テレビのアニメを見ても、女性の役割というのは男性主役を引き立てたり、男性主役に守ってもらったり、嫉妬心とか虚栄心などの感情的な理由でしか行動を起こさなかったりするように見えます。そういうテレビを見て育つと、『そう、女性ってこうなんだよね』と女性自身も考えるようになっていくわけです。『そのような歴史やTVアニメは、<男性中心的なものの見方>を教え込んでいるから、私たち女性は、それに抵抗しなくてはいけない』なんて思いにくいわけです。
アイオワ大学の入学基準は何ですか?
そのようにして、中心的な知識・ものの見方・生活の仕方・価値観・自己意識というものが、周辺の人々の内面に浸透していって、結果として、周辺は中心が売り出しているものと同じものを「ああ、それ、ほしい」と志向するようになるわけですね。
ここまでの話では、台湾に対しては日本がより中心性をもち、原住民に対しては漢人が、女性に対しては男性が、というふうに単純な関係に見えますが、事実はもっともっと複雑だと思います。というのは中心・周辺関係は、<相対的なもの>で<連鎖していくもの>だからです。でも、今ここでの議論に戻りましょう。
5.「自分で選ぶ」というのは、どういう意味か。
みなさんが出会って好きになった日本語。その背景には、<志向の共有>があり、さらにその背景には、<同じ価値を志向するように教育されてきた歴史>があります。私たちは、私たちに与えられたものの中から自分の好みを選び取って、あたかもそれが<100%自分の主体的な選択>であるかのように考えています。台湾大学に受かって喜んでいる人は、自分が主体的に台湾大学を選択して、努力した結果が報いられた、と考えますね。でも、そもそも大学なんかにどうして行くのですか。『大学に行く』ということも、『どうせ大学に行くのであれば「いい大学」に行く』ということも、自分が主体的に選択したわけではなくて、そのような志向をもつように教育されてきたからかもしれません。無論、何%かは自分独自� ��選択と言えないわけではないですが、100%自分の選択だということはできないでしょう。
同じように、皆さんが「日本語が好きで、日本語を選択した」というのもまた、そのように皆さんの志向性を作ってきた社会というのが背景にあると考えた方が現実に合っていると思います。
6.日本語は売れるから勉強するのだ、そのどこがいけないのか!?
みなさんは、ここまで読んできても、「日本語は<売れる>から勉強するのだ、そのどこがいけないのか」と思うかもしれませんね。つまり、今の社会が与えている価値観を『当然のことと受け入れるしかなく、主体的な選択や判断などというものの介在する余地はないのだ』というように感じるかもしれませんね。確かにそうなのかもしれません。社会の認める価値を(どうも納得できないからと言って)否定して、自分なりの価値を追及するほど自分は強くない―そう感じる人の方が、圧倒的に多いのかもしれません。
でも、もし、そういうふうに言う人が、自分を弱い弱いと言いながら、もっと弱い人たちに対して特権的な権力を振るっているとしたら、どうでしょうか。
社会の認める価値を受動的に・無批判に受け入れるということは、その価値の獲得競争、そして獲得競争の結果である社会の序列の構造をもまた、受動的に・無批判に受け入れることになりますね。いい大学に入れなかった人たちは、いい仕事(給料の高い、知的労働)につけなくてもしょうがない。そもそも大学にもいけなかった人たちは、社会の下層に組み込まれても、しょうがない。彼ら自身が「がんばらなかった」から招いた当然の結果なのだ、と。
例えば、フィリピンやインドネシアの人々が外労として働いている横を、彼らと目を合わせるのを避けて通りながら「あの人たちはかわいそうだけれど、今の社会はそうなっているんだからしょうがないね。台湾で働けるだけ彼らは幸せだ。」と言う。フィリピンやインドネシアも「がんばれば」いい暮らしができるようになる。―そういうことなのでしょうか、本当に。
私は、英語や日本語という「売れる言語」を勉強して獲得することが、そのまま、競争社会を肯定して、弱い人に権力を振るうような行為だ、とは思いません。でも、もし、みなさんが、自分が英語や日本語を勉強して身につけることの社会的な意味についてまったく考えないとしたら、それは、どこかで、弱い人に対して暴力的な権力を振るうことにつながっていると思います。無論、これは、英語や日本語に限りません。世の中で「売れる」能力、学歴―すべてに共通した<問題>だと思います。
II.われわれを取り囲む状況への問いかけ
アジアからの「賠償留学生」と「オリエンタリスト」:戦後の「日本」にとっての「日本語教育」
戦後、「日本」がアジアに対する「賠償」として行ったことの一つは、「賠償留学生制度」と呼ばれるもので、これは、アジアの「戦争で迷惑をかけた国の若者たち」を「日本」に招いて「日本の高い技術」を身につけさせ、その技術をそれぞれの国の戦後復興(?)に役立たせる、そういう制度です。アジアの各国から、将来その国のエリートとなる若者たちに、「日本」で技術の習得をさせたわけですね。
「日本」の戦後の「日本語教育」はここから出発しています。戦前も戦後も「日本語教育」の主たる対象者―学習する人たち―はアジアの人たちであって、「欧米」の人たちはごく一部だといえます。にもかかわらず、多くの市販の「日本語教材」が今でも英語で書かれているのは興味深いことです。「日本」の一般の人たちにとって、「日本語教育」というのは「世界に対して」日本の存在価値を高める行為だという認識があると思います。そのときの「世界」というのは、「英語を話す」「国際社会」というふうにイメージされるのだろうと思います。
戦後、賠償留学生制度と平行して、「欧米」からの留学生も受け入れが始まります。この時代に「日本語」を勉強した欧米人(特にアメリカ人)たちが現在の「欧米」でのJapanology(日本学、日本文学)の専門家となっています(サイデンステッカー氏などが有名ですね)。「アジア」からの賠償留学生たちが技術の習得を目的として勉強したのに対して、「欧米」からの少数の留学生たちは「実務」ではなく、「学問・教養としての日本学」(その枠組み自体、「日本」産ではなく「欧米」産です)の勉強のために「日本」へ来て、「日本語」を勉強した。それは「先進国」の学者が「未開の地」に実地調査に赴いて、その土地の「神秘的な」文化と社会を研究する―そういう感じのものだと考えてもいいかもしれません。1 8世紀くらいから欧米に作られてきたアジア観、日本観―そういうものを土台にして「欧米」に「日本学」というのがあるわけで、「日本」で勉強した若者たちは、そうした日本学を強化、再生産していったわけです。サイードという人は、このような現象を「オリエンタリズム」と呼んでいます。オリエンタリズムとは、西洋が作り出した東洋観(と同時に、そのような東洋を相手として作り出される西洋の自画像としての西洋観)、それに基づいた芸術や学問、政治、それらをさす名前です。
同じように「日本」や「日本語」を学ぶといっても、そこには学ぶ側と「日本・日本語」との特定の関係があり、その関係によって同じ「勉強」でも、そのあり様が違ってきます。
「日本語教育」の二つの顔と、「文化」への渇望。
以上の考察から、「日本」にとっての「日本語教育」のもつ、二つの違った顔が見えてきます。一つの顔は「欧米」あるいは「国際社会[1]」に対して「日本」を、文化的に優れた「国」として認知させたいという願望(一種の劣等観)を原動力とする顔。もう一つの顔は、「アジア」あるいは「第三世界」に対して、「日本」の優越性を誇示し、リードしたいという願望(一種の優越感)を原動力とする顔です。(一種の優越感)と書きましたが、これは正確には「未だ成就しない/安心してその上にあぐらをかけない未達成の優越感」とでも言うべきものかと思います。なぜなら「日本」の側では大いに優越感を持っていても、アジアの側がそれを裏打ちする劣等感をもっていないからです。
[1] 「日本」にとっての「国際社会」というのはアメリカとヨーロッパを中心とする工業先進国の「クラブ」のことのようです。例えばイラク戦争に参加することを「国際社会への貢献」ということばで「日本」政府は説明します。その「国際社会」には、いわゆる第三世界、工業化の遅れた世界は入らないわけです。中国は大きな「国」ではあっても、工業化に遅れ、資本主義経済化も進んでいないので、政治的には「国際社会」の一部ではあっても、正規の会員とは考えていません。アジアのほとんどの「国」も、「日本」にとっての「国際社会」の会員ではないわけです。
「欧米」のオリエンタリストたちの間では、「日本=欧米にはない独自の(伝統)文化」という図式は「日本」が特に努力せずとも、すでにできあがっています。そこでは、「日本」とは経済力のみによって評価される存在(つまり「成金」)ではなく、歴史/伝統/文化をもった国として認知される土壌がある。無論、これはオリエンタリズムの流れの中での話ですが。
交渉skilsが不可欠である
しかし、「アジア」では「日本=経済力」という強い図式の前に、「文化」というような「内面から誇るに足るもの」は認知されていない。認知されていないことに対しての不満、不安というものがあるために、「日本」は、さらにアジアに対して経済力以外の「文化的価値」としての「日本」や「日本語」を売り込みたいという願望を強くする。
これは私の限られた経験に基づく観測にすぎませんが、「主にアメリカ・ヨーロッパ」での「日本語教育」は、学習する側がその内容を定義づけていくタイプ―例えば、われわれはこのような目的で日本語を使いたい、とか、われわれはこのような面に興味がある、とか、われわれはこのような方法で日本語を学びたい、など―が目立ちますが、「アジア、アフリカ、南アメリカなど」での「日本語教育」は「日本」がむしろその内容を定義づけていくタイプが目立つように私などは感じています。前者の原動力が「劣等感」であり、後者のそれが「優越感」なのではないかと考えれば、こうした違いは納得しやすくなります。
「先進地域」の大学で「日本語教育」に携わる現地の先生たちは、何をどのように教えるべきかについて自分たち(現地人)は自分たちの考えを持ち、「日本」に指導してもらおうという動きはあまりない。これは、前にも少し触れた通りです。
だから、例えば「日本語能力試験」というのを「日本」が作ったときに、アメリカやオーストラリアなどは「これはわれわれの教えている内容とは違うから必要ない」と言いました。私自身もカリフォルニアの大学などで「日本語を教えた」ことがありますが、その「日本語教育」はカリフォルニア大学の言語学と東洋言語学という学問領域の枠内にあって、何をどう教えるかというのは、この「言語学+東洋言語学」の専門家たちが決定します。「日本語母語話者=日本人」というのは、そうした枠内ではnative informant(その言語を母語として話す情報提供者)という位置づけをされます。もっと極端な大学では「日本語母語話者」はdrill master(ドリル教官:軍隊で決まりきった動作を繰り返させるドリルを監督する人)という位置づけをしているところもありました。
台湾の「日本語教育」と「日本」
(1)「みんなの日本語」
台湾の大学では、どうでしょうか。例えば、東海大学では「みんなの日本語」という「教科書」を使って「日本語を教えて」います。「みんなの日本語」は、東海大学だけでなく台湾の多くの大学で「教科書」になっているそうです。
この教科書は日本のスリーエーネットワークという会社が作成したものです。スリーエーネットワークは、「みんなの日本語」の前にも「日本語の基礎」「新・日本語の基礎」というベストセラー教科書を出しています。この会社は、1973年の発足時には「海外技術者研修調査会」という名称で、1959年に発足した「海外技術者研修協会(AOTS)」との密接な関係の中で「日本語教育」の仕事をしてきた会社です。この二つの団体は、その名称から分かるように、戦後の賠償留学生制度の延長線上の仕事をしてきたわけです。もう一度繰り返しますが、賠償留学生制度は「開発の遅れた」アジアの青年たちに「日本語」を教え、「日本」の高度な技術を「戦争犯罪への賠償」として伝授する、そういう制度であり、考え方でした。� ��すから、その「日本語教育」で何をどう「教える」かというのは、当然、「遅れたアジア」の青年たちが自分たちで定義できる(考えられる)はずはないので、「日本」が定義し、「与える」というかっこうになります。この考え方は賠償留学生だけに当てはまる考え方ではなく、基本的には戦後のアジア地域の「日本語」学習者全体に適用されていきます。
そうして出来上がっていったのが「日本語の基礎」(1974〜)「新・日本語の基礎」(1990〜)であり、その延長線上の「みんなの日本語」(1998〜)です[2]。この一連の教科書がベストセラーとなったのは、一つにはインドネシア語版、中国語版、タイ語版、ポルトガル語版、スペイン語版など、多言語版を作成したためだと思います。英語版もあるようですが、主に消費されているのはアジア諸語版で、次にラテン・アメリカ諸語(スペイン語・ポルトガル語)版です。先述したように、「欧米」市場では「日本」作成の「日本語教科書」の需要は限られています。
[2] このような歴史から教科書の内容を決め付けることなどできませんし、私はこの教科書をなんらかの意味で批判しようとしているわけでもありません。ここでのポイントは、この教科書が「日本」の視点によって作られ、内容を決められている、という点です。
台湾でも、現地で作成された「日本語」教科書は無論ありますが、この「みんなの日本語」と張り合う勢いをもったものは皆無と言わざるを得ません。
(2)「日本語教育」の専門家(教師)
台湾の大学で「日本語」を教えている人たちは、どのような教育を受けて教師になったのでしょうか。彼らの「専門」とする領域の権威はどこにあるのでしょうか。
先に、「欧米」の教育機関では、現地の学問領域、学問的権威がまずあるので、「日本」から「日本語教師」がそこに行っても、下手をすればnative informantやdrill master扱いされるということを言いました。私が知っているのは、ほぼ20年前のカリフォルニアや10年前のオーストリアやイギリスという限られた地域と時代ですから、現在では事情は変わっているかもしれません。それでも、「欧米」の「日本語教育」がどこにその学問的専門性や権威を求めるか、というときに、「自国」の大学や学会を通り越して「日本」にある「日本語教育」にそれを求めるというのは、大勢ではないでしょう。
台湾では、どうでしょうか。大学の「日本語教師」たちの中に、「日本」で教育を受け、「日本」にある学会の機関誌に投稿することによって権威を得ている人たちが年々増えていると言えないでしょうか。彼らは学問的言語として「日本語」を話し、「日本語」で書き、その職業的ネットワークは「日本」を中心としていればいるほど権威が高い―そのような構造がないとは言えません。これは、「日本」が戦後一貫して国策として推進してきた「日本語教育」の成果にも見えます。つまり、「日本」が作り上げようとしてきたのは、「日本」を文化的中心とする「日本語ネットワーク」であり、台湾で現在進行しつつある事態は、こうした「日本」の期待通りの事態のように見える、ということです。
こうした事態を見る限り、「日本」の願望―「日本」を成金としてではなく「文化」として価値あるものと認知してほしい、という願望―は徐々に成就されてきているように見えます。
(3)「台湾」の国策と「日本」の国策
台湾は本当に「日本」を文化的に価値あるものとして尊敬、あるいは、尊重し始めているだろうか。「日本」をアジアへの「日本語普及」活動へと駆り立てた根っこのところに、「経済力だけでなく文化的に尊敬されること」というのがあるという仮定に立つ以上、問うておかねばならない問いです。
「日本」は、国際交流基金という組織(台湾では「交流協会」という組織がその代わりをしています)が、世界各地に「日本語センター」というのを作って、そこに「日本宣伝」と「日本語普及」のための予算と人を提供しています。ドイツには「ゲーテ・インスティテュート」があり、フランスには「アリアンセ・フランセーズ」があり、イギリスには「ブリティッシュ・カウンシル(British Council)」があり、それぞれドイツ語、フランス語、英語の「普及」のために国家予算を含め、お金をつぎ込んでいます。「日本」の国際交流基金は、これら「先進国の見本」の上に構想され、活動している機関です。国際交流基金も、先述したような対「欧米」と、対「アジア」では違う顔をもっていますが、その主たる任務は一応「文化交流」ということになっていますが、その大きな部分は「日本語と日本文化の普及」ですね。
例えば、中国のある大学が「日本語学科」を充実させたいと考えたとします。そこで国際交流基金に援助を頼みますね。そうすると、お金ではあげられないけれど教科書を無償で提供する、とか、教師を無償で派遣する、とか言われるわけです。その「無償で提供される」教科書とは、「日本」で作成された、それこそ「みんなの日本語」であり、「無償で派遣される」教師とは、「日本で教育された日本人の教師」というようなことになります。さらに、その中国の大学で実際教えている教師のレベルアップをしたい、という要求があれば、その教師を「日本」に招待して、「より高度な日本語教育技術を伝授する」ということになります。国際交流基金は、そのようにして「日本」から発信する「日本語」と「日本文化」� ��普及に国家のお金を使う、そういう機関ですね。
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国際交流基金(台湾では交流協会)が多額のお金を動かせば動かすほど、特に「アジア」における「日本語教育」が「日本」を中心としてヒエラルキー(権威の階層性)を形成するという傾向が強くなります。(2)で触れたような台湾の状況は、このような流れの中で作られてきたのだと思います。
台湾の現在の「外国語」教育は、英語(アメリカ語)を中心(第一)とし、日本語をサブ(第二)とする形になっています。スペイン語やフランス語やドイツ語も存在するものの、それらは少なくとも台湾が国策として推進する言語にはなっていませんね。
台湾とアメリカ語との関係は、蒋介石や国民党とアメリカ合衆国の関係に始まりますが、現在ではそのアメリカ主導の「国際社会」への参入が「台湾」にとっての重要課題になっているらしく、アメリカ語の重要性を、誰かが毎日、声高に言い募っています。そのアメリカのアジアにおける第一の子分である「日本」との関係も、このアメリカとの関係を前提に、非常に「台湾」にとっては重要なわけです。例えば、大陸が侵攻してきたとき、アメリカが、そして日本が「台湾」を助けてくれる、と。
また、経済的な方面でも、無論、アメリカ主導のWTOなどの経済圏への参入は「台湾」にとって重要ですね。そうすると、また、そのアメリカの一の子分である「日本」との経済関係が重要になる。
そういう中で、アメリカ語と日本語が、公教育の中の主要な「外国語」になる。大変、分かりやすいですね。この二つの言語の教育を推進するのは、いわば「台湾」の国策です。この「台湾の国策」と、「日本の国策」(アジアにおける「日本=文化国家」という認識を作り出すこと)は、ちょうど合致しています。その「合致したところ」に、日本語の教育があるわけです。
(4)国家語としての「日本語」と「中国語」(日本文化、台湾文化)
今の「日本語」は、どのようにして作られたのでしょうか。「太古の昔から日本語はあるのだ」というのは、いくつかの意味で事実ではありません。まず第一に、「太古の昔」には「日本」という国はありませんから、日本語というものもありませんね。第二に、明治時代に至るまで、「日本」の内部には相互に大きな隔たりをもった言語変種が混在していたというのが事実です。今の「日本語」は、明治以降の「標準語化運動」という名前の下で行われた大規模で、極めて人工的な操作の結果として生み出されました。
台湾の場合も、現在は中文(「日本語」では「中国語」といいますが、実はこの名前は変ですね)が「国語」となっていますが、そうなるまでには大規模で、極めて人工的な「中文化運動」があった。その結果、大陸の諸言語、諸言語変種の中で、特定のものを基にして台湾での「中文=国語」が作られたわけです。
「日本語」も、台湾の「国語」も、国家が意図的に作り出した「国家語」です。実はフィリピン(タガログ語⇒ピリピノ語⇒フィリピノ語)でも、インドネシア(マレー語の変種⇒インドネシア語)でも、他の多くの国家でも、同じことが起きています。元になる言語はもちろんあるわけですが、その言語はその「国」(地方)の多様な言語(変種)のうちの一つにすぎません。「日本語」は「東京山の手語」、「台湾国語」は「北京官話」、「フィリピノ語」は「タガログ語」を、それぞれ元にしています。
国家が作り出した言語ですから、その言語はその国家において大きな価値を置かれ、<規範化>されます。規範化というのは、簡単に言うと第一に「書き言葉として正書法を持つ」ことで、第二には「話し言葉として「正しい発音」とか「正しい話し方」とったものが作られてゆくことです。
で、いわゆる「文化」についても、同じことがおきます。国家は、自分の国の「文化」というものを規範化して、統一しようとする。その結果、文化と言語とが結びついて、「日本語=日本文化」とか「中文=国語=台湾文化」というような単純な図式が出来上がります。
台湾の場合には、実はそう単純ではないということを多くの人が知っています。中文が台湾を支配したのは第二次大戦後、つまり最近の出来事だということを、かなり多くの人が知っているからです。でも、そういうことを知らない人もいますね。で、知らない人は「台湾=中文=中国文化」と思うわけです。それに、現在、もし「台湾=中文=中国文化」と言ってしまったら、台湾の中から文句が出るでしょう。だから、そんなことは台湾の国も「言えない」ですね。
日本の場合はどうでしょうか?日本の言語=文化=国家統一は、明治時代の話なので、多くの人はそれを最近の出来事とは認識していない。だから、「日本=日本語=日本文化」という図式を、わりと簡単にみんなが納得してしまいます。また、日本には「大きな少数派」はいないことになっています。在日中国朝鮮人の数は多いですが、日本は彼らを「特別な外国人」として扱ってきましたから、彼らは「日本人」には入っていないというふうに考えるわけですね。アイヌの人々は、ほとんど殺してしまったか同化させてしまったので、少数派として数えなくてもいい、という論理もあります。だから、日本の政府が「日本=日本語=日本文化」と言っても、それに対して日本の中から大きな文句は出ない。そこで、「日本� ��日本語=日本文化」という図式を、国際交流基金だとかが世界に向けて宣伝することができるわけですね。
では、政府が言うように、本当に「日本=日本語=日本文化」なのでしょうか?これは、明治以降に作られたお話なのですが、明治以降の日本の政策は、確かに日本の中を一つの言語と、一つの文化に統一する方向で進められてきました。テレビで地方語を放送するようになったのは、15年くらい前からですが、それまではマスメディアでも教育でも「標準語」以外は認めなかった。そういう強引な政策の結果、確かに日本国内はある程度「統一」された観もあります。しかし、それは大きな少数派である在日の人々などを「同化」させたり「外国人扱い」してきたからだとも言えます。在日は一つの例にすぎません。強引に作られた「統一性」からは、実際にはさまざまな人々、さまざまな言語(変種)、さまざまな文化� ��変種)が取りこぼされているというのが現実だろうと思います。
「国家語の教育」というのは、現実の多様性を無視して、規範(言語規範、文化規範)を教える傾向があります。その国家をいかにも近代化された(統一された)集団として提示していきますね。
そういうのを信じてしまうと、「英語」を勉強すると「イギリス人が理解できる」とか、「日本語」を勉強すると「日本人が理解できる」といった誤解をすることになります。ある意味では、これは「誤解」ではなくて、そもそも「作られた日本=日本語=日本文化=日本人」というものを、作り手の意図に沿って「理解」するということなのでしょう。しかし、そのように「理解」された「日本人」というものが、現実の日本人(日本国籍を持った人?日本で生まれ、育った人?・・)と重ねられたとき、問題が起こることが少なくないですね。英語=イギリス人という図式は、Wales人もScotland人もIreland人も、全部English人にしてしまう、という問題も起こします。
(5)「日本語を教える」というときに「何を教える」のか?
よく、みなさんは「日本の文化を紹介する」とか「日本人の考え方を紹介する」というような言い方をしますね。「日本語の教育」というのが(4)で見たような「国家語の教育」という意味であれば、そこには確かに「日本の文化」や「日本人の考え方」というものが「教えることができる形」で存在すると考えることができますね。「日本の文化はこうですよー、ああですよー」と教えることができる。
しかし、国家語としてではなく、ひとつの言語として「日本語」をとらえると、そこには「日本語」を実際に使っているさまざまな人々が見えてこないでしょうか。国家が作り出した統一的な「文化」とは必ずしも同じでない種々の「文化」をもった人々が「日本語」という言語を使っている。また、「文化」というのが人々の価値観・行動様式・人間関係などをさす言葉だとしたら、それはいつも変化するものであり、いろいろな歴史が交差する結果として浮き出てくるものです。「日本人は閉鎖された日本文化の内側に生きている」なんて、そんなことはあり得ませんね。
もし、日本語と(国家が推進するような)日本文化とが「つながった」ものでないという前提で、日本語を教えるとしたら、どのように教えるのでしょうかね。
さらに大事なのは、「日本」が「これを勉強すべきです」といって与えてくれるものを受けとって、それを私たちの学生に教えていくことがいいのか悪いのか、考えるべきだろうと思います。みなさんは、どう考えますか。
・・・・
私たちは、自分の意志で、自分の生き方として「日本語の先生になろう」とか「日本語を教えてみよう」とか選択したのだ、という気がするかもしれませんが、それは<国策>に乗っかっているからこそできることなのかもしれません。インドネシア語を勉強したからと言って、それを教える先生になろうとしても、道は開けていません。
別に「国策」だって何だっていいじゃないか―そう思うかもしれませんね。そうなのかもしれません。そうでないかもしれません。ただ、私たちがそのことを知っているのと、知らないで「これは自分がたまたま偶然に選び取ったことだ」と信じているのとでは、とても大きな違いなのではないでしょうか。
知っているのと知らないのとでは、おそらく「教え方」というか「教える姿勢」に違いが出てきます。本当は、国と言語とは、直接的な関係がないものです。国と言語が一致する(日本は日本語、台湾は北京語、といったように)というのは、一致するように現代になって強引な政策をとったためですが、現実には今でも「一致」などしていません。
でも「国」という単位で一つの言語に統一する運動があったために、今、私たちは一つの国には一つの言語がある、というふうに思うようになった。だから、例えば、日本語という「日本の統一言語」を教えるときに、それを「日本文化」といった、これもまた「統一的な文化」とくっつけて教えようとしてしまう。国と言語と、さらに文化が、一致するという「お話」になるわけです。言語も、文化も、「国」という概念よりもずっと昔からあるものですから、国境線に沿って一つに統一されるというのは「夢の中」でだけ起こることで、現実にはそんなふうに行きません。
日本や台湾の国策としての「日本語教育」は、国=言語=文化、という幻想の上に立っています。日本と台湾の「国境」などいい加減なもので、言語的にも文化的にもだらだらとつながっているんだ、という考え方では「国」を基本とする国策としての日本語教育にはならない。だから、強引に、「日本には日本のことばと文化があるんだ。それは台湾とは違うのだ。なぜなら国境線の向こう側だからだ。」という論理に固執するわけです。教育が「国策」だということを知っている人は、そういう国が推進する教育内容を「疑う」ことができます。本当は違うよね、ということを知っていて、そのように教えることもできるかもしれない。でも、知らない人は、「そうだよね、国は言語・文化の統一体で、日本と台湾は違う� ��だよね」と無邪気に信じて、そのように生徒に教えていくかもしれない。そういう違いは、意外と大きいんじゃないかと思います。
メリトクラシーと市場経済:グローバリズム
メリトクラシーということばがあります。アリストクラシー(階層、出自による支配)に対して、能力(メリット)による支配、というような意味です。昔は「階層・階級」によって社会の支配構造ができていた―権力や富はその人の「生まれ」によって決定されていた―という構造をアリストクラシーと呼ぶわけですが、メリトクラシーというのは、権力や富は人の「能力」によって獲得されるものだ、という考え方です。で、現在の資本主義社会では、このメリトクラシーという考え方がよく語られますね。
ではメリット、能力というのは「誰が、どのように」定義する(作り出す)ものなのでしょうか。英語や日本語の能力が高い「メリット」であり、ジャワ語やスワヒリ語の能力がそれ以下であるというのは「誰が、どのように」作り出している基準なのでしょうか。「そんなものは、誰というのではなくて、自然に出来上がるものだ」と言われるかもしれませんね。少なくとも「私」が作ったものじゃないよ、と。
みなさん、小学校から今までの間に「なぜこんなことに価値があるのか!?」と疑問に感じたことが、一つや二つは必ずあるはずです。私には歴史の年表を覚えるなんて意味がない。私には鉄棒で逆上がりができるかどうかなんて、何の意味も感じられない。・・・それでも、学校でしなくてはいけないといわれるからやる。そういうことの繰り返しの中で、学校や親や社会が「これは価値がある」と言うものに対して「本当にそうなのか?それはおかしいのではないか?」と感じる感性が鈍化していく―そんなふうに思ったことはありませんか。「ちょっと変だとは思うけど、しかたない。」という諦観のようなものもあるかもしれませんね。
学校が終わると、今度は「市場経済」が待っていて、「なぜこんなことが金になるのか」と感じられるようなことでも金になればやらざるを得ない、そういう環境に放り込まれるわけです。そこでは、自分が「これには価値があるけれど、これには価値がない」などと思うこと―自分自身の価値基準というのは二義的なものとなり、市場の価値基準が一義的なものとなります。
みなさんが大学卒業資格が重要だと考えること、そして、日本語を専攻することが社会でのメリットになると考えること、両方とも「社会に通用する自分のメリットを獲得すること」に価値を置いた考え方だと言えます。そんなふうに考えたことはない、と言う人でも、そんなメリットは要らないとは言わないでしょう。
皆さんは「たかが、大学に来て日本語を勉強しているというだけで、社会を変えるとか何とか大げさな!」と思うかもしれませんね。確かに日本語というのはひとつの小さな例に過ぎませんが、これは、私たちが「どういう人間でありたいか」ということに関わる重要な問題の一つだと思います。
了
2006年12月5日記
なぜ日本語を勉強するの? と、2006年度の台日地区研究クラスの参加者に聞きました。答えと阿川の感想です。
日本語・・・ただの"外国語"であって"ツール"なのだ。 "大国に依頼する"という意味もある。日本語人とコミュニケーションできる。・・・これらは、しかし、直接の「周辺化への抵抗」ではないけれど、間接的には抵抗になり得る・・・。 "好奇心"・・・能力を身につけて"他の人に勝つ"・・・日本語で"台湾の文化を世界に伝えられる"・・・"外から台湾を見る目を理解する"こともできる。 実は"中文"の方がアジアでは"日本語"よりも強いのだ・・・だから、日本語を勉強することは、ますます中立的な意味合いをもつ? | |
まあ、いろいろ意見が出ました。もし「ツール」であって、そのツールをどのようにでも利用できるのだ、としたら日本語を勉強することによって洗脳されたり特定の価値観や世界観に「犯される」ことはない?・・・そう阿川が質問したら、多くの人は「いいや、やっぱり、言葉は文化から自由ではないから、単にツールとしてだけ身につけるというのは非現実的だ」という意見だった。 つまり、気持ちとしては「ツール」として使いたいと望んでいるけれど、実際にそのように(意識的に)することは大きな努力を必要とするぞ、と、多くの人が考える・・・そう総括していいかな? |
bell hooksという阿川のお気に入りの黒人女性文学の先生が「it's the oppressors' language, but I need it to talk to you(これは抑圧者の言語だけど、これがないとあなたと話せない)」と(英語について)言ってます。原住民にとっての国語(北京語)は、hooksにとっての英語と言ってもよさそうです。日本植民地時代の日本語は、台湾既住者にとって、やはりそのようなものでしょうね。植民者の言語を、被植民者は使わなくては生きられない・・・その辺の事情は<周辺化>の項でも書きましたので読んでください。そうした植民地主義の"地続き"の延長として現在の世界があるわけですから、この「植民者の言語を、被植民者は使わなくては生きられない」状況は、何か意図的にそれを変えるような大きな動きがない限り、現在ではむしろ"当たり前"の状況になっています。英語が抑圧者の言語だ、と言われて、大いに違和感を持つ黒人たちはたく さんいるでしょう。彼らは"植民地状況"の暴力性を経験していないから、そんな風には思えない。その彼らに対して「あなたたちは歴史を知らなさすぎる!」と、批判することはできますが、それで一体、何が変わるのか。
先世紀の植民地主義は、今世紀の新自由主義(全球化)に引き継がれた。この二つが"地続き"であることは、若い世代にはピンと来ない。
全球化の中で"よりグローバルに流通価値の高い"言語、もの、能力・・・それらが追求されるに値するものとして、学校でも、社会でも学ばれる。教育産業は、そうした市場社会の中にある。
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